整理をかねて地下室を作りました。ひんやりとしていて落ち着きます。
*私が初めて作った短歌は、北原白秋 作詞、山田耕筰 作曲、の童謡「この道」からの本歌どりであると、枡野浩一氏より指摘がありました。ふっと口をついて出たフレーズとはいえ、「この道」というあまりにも有名な本歌を、初心者であるにもかかわらず、無謀にも短歌化(?)しようとする試みであることをここにお断りいたします。手持ちの、『日本の名歌』野ばら社、によりますと、“詩は大正十五年八月「赤い鳥」に発表、曲は昭和二年二月に作られた”、と書かれてあります。図書館から借りた、文芸読本『北原白秋』河出書房、横木徳久“近代史のトポロジー”『北原白秋』思潮社、は本日読了しました。これからどうなるのか、それが問題です(2004/06/06)。
本歌:「この道」(北原白秋/作詞・山田耕筰/作曲)
2004/04-05
既TB
このみちはあのひきたみちはれのみちかなしみはいまあのひとはいま
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このみちはあのひきたみちはれたみちかなしみはいまあのきみはだれ
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このみちはあのひきたみちはれたみちあのきみはだれかなしみはまう
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この道はいつか来たとき「工事中」現場も君も消えた悲しみ
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この道は君ときた嗚呼ピンぼけの夢を笑顔で聴けた悲しみ
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この道はいつかきた道はれた道君きみ誰だれ悲しみエコー
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この道はあの日きた道はれの道 祈る誘いをよけた悲しみ
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この道はあの日きた道はれた道 空耳かしら悲しいサルサ
未TB
この道はあの日きた道はれの道 だまし絵の君悲しい帯の
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この道はあの日きた道はれの道 君を呑みこみ悲しみ吐いた
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この道はあの日きた道はれの道 迷子の君にはぐれた悲しみ
2004/06-
この道はあの日きた道はれの道 君はいません悲しみがいる
↓
この道はあの日きた道はれの道 私はいない悲しみがいる
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この道はこの日きた道ここの道 二人にしては過ぎた悲しみ
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この道はこの日きた道ここの道 白よりもっと白い悲しみ
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この道はこの日きた道ここの道あたりさわりのある悲しみの
(一旦止めます06/24)
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この道はこの日きた道ここの道 針まといあい連む悲しみ
(今度こそ止めます07/06)
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既TB
この道はこの日きた道ここの道 君とハモった悲しみは今
2004/07/25
(往生際の悪いこと!)
と思ったのに、「短歌」で数回、改作を試みるもままならず。
瓶詰めにして、地下室の片隅に置きました(2004/08/15)。
*
2004/05-06
既TB
弟よおなかの中で生きていた写真がないね悲しむための
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弟よ写真があれば悲しもう誕生日兼命日だから
↓
弟よ写真がないから絵を描いた これさえあれば悲しくないよ
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弟よ父だけは見たピノキオ似だから父似で ゆえに悲しい
未TB
弟よ声を上げずに天上へ 月見草咲く悲しい日暮れ
2004/06-
私には弟もいたのに たったマイナス十月なので悲しい
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弟よ いたことは知っていますマイナス十月は やはり悲しい
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弟よいたのは知っていますがマイナス十月は やはり悲しい
(こちらも止めます06/24)
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弟よ この世の人になりたくてマイナス十月生きて 悲しい
(こちらも今度こそ07/06)
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既TB
弟よマイナスとつき姉でした七歳でした悲しかったよ
2004/07/25
(しつこい!)
などと、自分に向かって叫んだ挙句、エッセイにしました。
弟よ
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