お気に入りのタンゴCDベストスリー
すっかり、歌舞音曲というカテゴリーにご無沙汰しています。明日で1月は終りますね。2月に入ると、タンゴ仲間と浅草でのパーティーに参加したり、渋谷にあるお店を訪問したりといった予定があります。なので、お気に入りのタンゴCDベストスリーでも。試聴は残念ながらできません。小松亮太公式サイトの:: DISCOGRAPHY にて、同じ曲がいくつか演奏されていますので、ご興味のある向きは、どうぞ。
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すっかり、歌舞音曲というカテゴリーにご無沙汰しています。明日で1月は終りますね。2月に入ると、タンゴ仲間と浅草でのパーティーに参加したり、渋谷にあるお店を訪問したりといった予定があります。なので、お気に入りのタンゴCDベストスリーでも。試聴は残念ながらできません。小松亮太公式サイトの:: DISCOGRAPHY にて、同じ曲がいくつか演奏されていますので、ご興味のある向きは、どうぞ。
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melas'sリストにリンクしているBBSの名称を、「温室」から「暗室」へと改めました。
今も健在で京都にいる父が、愛媛県松山市にあった社宅の1室の1角に、厚手のカーテンで仕切った暗室を作り、白黒の写真を現像していた姿を思い出します。
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血の色をした香水やハイヒールおもちゃのように愛する日々だ(秋野道子)
*最近、歳のせいなのか、タンゴのせいなのか、ダークな赤にひきつけられます。
昨日、紀伊國屋新宿南店3Fにある俳句・短歌コーナーにて、『かなしーおもちゃ』を5冊を手に入れました。(ナシノさんと同じところで買ったみたいです。そう、カバーなしでした。読みながら出し入れしたやつは、金色のカバーの1部が少しへこみました)私に1冊、所属している結社(俳句)の冊子を送ってくれる京都の母に1冊、あとは、お世話になった小説家、劇作家、編集者さんに郵送する予定です。どういう手紙を添えようか思案中です。
そうそう、どこにあるか聞いたら素早く案内してくれた店員さんも、袋に入れてくれた店員さんも、なぜか微笑んでました。もちろん私も。あ、全員女性です。これから、ゆっくりと読んでみます。書店に足を運ぶお時間のない方は、枡野浩一氏のミニインタビューにも購入方法が書いてあります。
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なつのなか の なのかさん
2005-01-26へトラックバックします。
『森の生活』といえば、いわずとしれた(でもないのでしょうか、昨今は)、ソローの有名な作品です。私が記憶している記述は、たしか、人は家なんてものを持つから掃除をしなきゃいけなくなったんだ、といったような箇所でしたっけ。違ったかなぁ。
私が持っているのは、『森の生活(上)ウォールデン』と(下)です。本棚にあるにはあるのですが、途中で挫折したままです。
新訳が出たというので『ウォールデン 森の生活』にある“立ち読み”ページへ、にある第15章の読み比べを少しだけやってみました。大きく違います。旧訳は、「だ」「である」で書かれていて、新訳は「です」「ます」だということなど小さなことです。これなら私も読破できそうです。訳者によって、かなり異なったイメージを抱いてしまうことってありますよね。たとえば、シャーロック・ホームズだって、訳者が変わると別人かと思いますもん。ともかく驚きました。値段は高めですけれど、そのうち是非手に入れたい本です。
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『キッチン』を読了、『とかげ』と『赤ちゃんのいる日々』を買いました。あと1冊、新潮文庫を買い、シールを切り取り、応募用紙に貼ると、30冊相当のグッズがもらえるそうです。なので、川上弘美『おめでとう』を買いました。欲しいのは、文豪リストウォッチです。三人の中では、そうだなぁ、夏目漱石かなぁ。それにしても、お三方とも、まさか、ご自分の顔の上で時計の針が動くことになるとは、想像だになさらなかったことでしょう。
それはともかくとして、よしもとばななさんの小説は、登場人物たちの印象が、とても近しい感じがするのに、いい意味で淡いというか、想像の余地を残してくれているせいなのか、読み手である私もまた、あまり深入りせずに感情移入できるような気がします。淡々とした、ニュートラルな感じとでもいうのでしょうか。あぁ、『赤ちゃんのいる日々』という育児日記を読めば、また感慨は新たになるのかもしれません。
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現在と過去と未来の子供たち みんなオモチャでつながっている(秋野道子)
*以下、改作です。こりずによろしくおねがいします。
口紅が塗られて成就するように読まれて本は独自な色に
ことごとくコットンよりも化学した乾きの速い結婚がよい
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雨の東京地方です。しばらくご無沙汰していた映画を観てきました。誰も知らないです。映画館は、毎度おなじみの下高井戸シネマです。舞台は東京。現実にあった話がもとになっているらしい。カンヌ映画祭で賞をとったらしい。それくらいの予備知識でもって味わってきたわけです。つらい内容でしたが、映像は優しく美しく、主題歌「宝石」の文句にある「異臭を放った宝石」にジンときました。コンビ二の女性店員役でもあるタテタカコさんの歌声が、澄み渡っていて素敵でしたよ。お気に入りの映画が、またひとつふえました。
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『不倫と南米』を読了しました。原マスミさんによる表紙イラストには、黒尽くめのスーツに白いネクタイ姿の男性と、赤いスリップドレスに赤い靴の女性が、いずれも造作の大きい顔立ちで足を絡め、ポーズを決めている光景が描かれています。数組のカップルは、ぶつかりそうなくらい近い距離にいて、背景は、ダークなワインレッドのベルベットらしく、床はくすんだモスグリーンのカーペットのようです。
さて、初めて読んだ吉本ばななさんの文章はさっぱりとしていました。ここのつ収められた短編小説の中では、最初の「電話」が心に残りました。ヒロインがおとずれた教会での印象的なシーンの一部を転載させていただきます。
となりにいた太った老婦人が「大丈夫?」と言って汚いハンカチを出してくれた。汚いな、と思いながらも受け取ると、ハンカチからはびゃくだんのようないい香りがした。(吉本ばなな『不倫と南米』世界の旅③幻冬舎文庫、より)
このくだりを読んで思い出した言葉も、ご紹介しますね。
傷を負った人間は間に合わせの繃帯(ほうたい)が必ずしも清潔であることを要求しない。(三島由紀夫『仮面の告白』新潮文庫、より)
わかるような気がします。いかがですか、みなさま。
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右の欄にリンクしている「Blog雑録」を、これまで非公開にしていたBBSと合体させて、「BBS温室」という名前で公開することにしました。忘れたころにふらっと人が訪れる、さびれた温泉ならぬ温室です。
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冬の運動会には、faceさんや、老少年さんからコメントをいただきました。faceさんから、「田渕久美子さんは有名なんですか」という質問をされたままでした。まあ、前途有望な、売れっ子の脚本家なんだろうな、くらいに思ってました。ところが、意外なところでお名前を発見したので、お知らせまで。
所属している日本SHクラブでトイレ関連の文章を書くために、かつて入手した本があります。「トイレと文化」考です。この本の著者名が、スチュアート ヘンリ となっているのを不思議に思い、文藝春秋社に電話をいれたことがありました。三軒茶屋にある昭和女子大学で文化人類学を教えておられる、アメリカから日本に帰化した学者さんのようでした。そのことを電話口で教えてくださったのが、名編集者の誉れも高い、高橋一清さんという方でした。何度か手紙のやりとりがあり、今でも新しい本が出るとお知らせくださいます。
前置きが長くなりました。その高橋氏と、田渕久美子さんは、同じ島根県出身らしいですよ。羅針盤をご一読くださいな。最後の段落にお名前が出てます。人って、いろんなふうに繋がってますね。
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「オニババ」と何度も書いていたら、吉本ばなな著『アルゼンチンババア』を書店の棚に見つけたときの明るい衝撃を思い出しました。『不倫と南米』を入手して読み始めたところです。初めての吉本ばなな本です。
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昨日は池袋でのアルゼンチンタンゴダンスの踊り初めでした。風邪薬を飲んで参加しました。足の筋肉痛がきもちいいです。
さてと、三砂ちづる『オニババ化する女たち』光文社新書を昨年末に読みました。日付は忘れましたが、朝日新聞の土曜日の夕刊に掲載されているピンホール・コラムで、斎藤美奈子氏は、著者は「オニババ」という言葉の意味を取り違えていないか、といったようなことを指摘しておられました。私は、オニババ、ヤマンバなどの民俗学的意味合いはよく知りません。ただまあ、絵で見たオニババは、日本のおばあさんというより、大柄で、鼻の高い、彫りの深い顔立ちをしていて、足も速そうな、筋肉質なイメージの、アングロサクソンのおばあさんのようでした。
えー、書店の女性によりますと、「これがバカ女じゃ売れないだろうけど、タイトルで売れてるらしい」んだそうです。私もタイトルにひかれて買ったくちです。バカ女は、細木数子さんの専売特許でしたっけ。それはともかくとして、帯にある「とにかく抱腹絶倒の目ウロコ本である」には違和感を覚えます。笑えませんでした。たしかに、妊娠、出産、子育てに関する海外事情については、著者が「女性の保健」を主たる専門にする学者さんですから、初めて知ることも多くありましたけれど。
ま、そういう研究論文的なところ以外では、いわゆる母親となっても、「オニババ」化するのは健康なセクシュアリティが感じられていないからだ、といったくだりがあります。そうなってくると、女性として生まれるということは、ことごとくオニババ化する可能性を秘めていることになります。さらに、セクシュアルなことに加えて、認められていない、受けとめられていないと(感じると)、自分のことばかりを一生懸命説明しようとする、自分の欲しか見えない意地悪な人になる、ともあります。「私たちはそれこそ、自然や大いなるものの存在に受けとめられていて、みんなあるがままでいいよと言われているはずなのですから、自分のことをわっと言わなくてもいいのです」でもって、受けとめられているという意識をもつためには、「自分のからだをよい状態にする」ことが大切なのだ。ということらしいです。
女性の身体の機能を存分に活用して、その後も男性との良好な関係を存続させなさいと。ま、そうできればいいのかもしれません。しかし、なかなかそういう風に理想的にことは運びません(あ、もちろん理想的な方々は素敵だと思いますよ)。それならばいっそ、どういう「オニババ」になりたいか、具体的なイメージを描いて、イメージ・トレーニングに励むのも悪くないのではないかしら。
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昨晩は、冬の運動会を見ました。
正確には、今様『冬の運動会』ともいえそうでした。といっても、原作はうろ覚えです。昨年、秋、NHK衛星第2放送で観た「BS思い出館」の向田ドラマは、1982年に放送されたものでした。今回は、脚本の田渕久美子さんも、役者陣も若返っていて、携帯電話で連絡を取り合う家族の姿が描かれていました。それでいて、いやそれだから、いえいえどちらにしても、「冬」という厳しい時に、「運動会」の徒競走のように、ピストルの音を合図に走り出そうと位置についた若者の姿や、血縁のあるなしにかかわらず見守っている大人たちがとても身近に感じられました。
しかし、家族というのは、父、母、子といった役割にとらわれてしまって、せっかくひとつ屋根の下に住んでいるのに、だからこそいっそう、窮屈な関係になってしまうのかもしれません。家族以外の人とは心を通わせることができるのに、なぜだかギクシャクしてしまう。わかるような気がします。帰る家庭があるからこそ、女の人が強くて明るいからこそ、男の人たちはわがままをやれたんだろうな、なんて思いましたね。あ、逆のケースもありますけれど。原作の向田さんは、私の母と同じ昭和一桁生まれです。生涯独身の、さぞかしりりしい人だったんだろうなぁ。惜しい人がなくなったもんです。田渕久美子さんに期待しましょう。
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