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2005年1月 7日 (金曜日)

オニババ化する女たち

昨日は池袋でのアルゼンチンタンゴダンスの踊り初めでした。風邪薬を飲んで参加しました。足の筋肉痛がきもちいいです。

さてと、三砂ちづる『オニババ化する女たち』光文社新書を昨年末に読みました。日付は忘れましたが、朝日新聞の土曜日の夕刊に掲載されているピンホール・コラムで、斎藤美奈子氏は、著者は「オニババ」という言葉の意味を取り違えていないか、といったようなことを指摘しておられました。私は、オニババ、ヤマンバなどの民俗学的意味合いはよく知りません。ただまあ、絵で見たオニババは、日本のおばあさんというより、大柄で、鼻の高い、彫りの深い顔立ちをしていて、足も速そうな、筋肉質なイメージの、アングロサクソンのおばあさんのようでした。

えー、書店の女性によりますと、「これがバカ女じゃ売れないだろうけど、タイトルで売れてるらしい」んだそうです。私もタイトルにひかれて買ったくちです。バカ女は、細木数子さんの専売特許でしたっけ。それはともかくとして、帯にある「とにかく抱腹絶倒の目ウロコ本である」には違和感を覚えます。笑えませんでした。たしかに、妊娠、出産、子育てに関する海外事情については、著者が「女性の保健」を主たる専門にする学者さんですから、初めて知ることも多くありましたけれど。

ま、そういう研究論文的なところ以外では、いわゆる母親となっても、「オニババ」化するのは健康なセクシュアリティが感じられていないからだ、といったくだりがあります。そうなってくると、女性として生まれるということは、ことごとくオニババ化する可能性を秘めていることになります。さらに、セクシュアルなことに加えて、認められていない、受けとめられていないと(感じると)、自分のことばかりを一生懸命説明しようとする、自分の欲しか見えない意地悪な人になる、ともあります。「私たちはそれこそ、自然や大いなるものの存在に受けとめられていて、みんなあるがままでいいよと言われているはずなのですから、自分のことをわっと言わなくてもいいのです」でもって、受けとめられているという意識をもつためには、「自分のからだをよい状態にする」ことが大切なのだ。ということらしいです。

女性の身体の機能を存分に活用して、その後も男性との良好な関係を存続させなさいと。ま、そうできればいいのかもしれません。しかし、なかなかそういう風に理想的にことは運びません(あ、もちろん理想的な方々は素敵だと思いますよ)。それならばいっそ、どういう「オニババ」になりたいか、具体的なイメージを描いて、イメージ・トレーニングに励むのも悪くないのではないかしら。

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